過ぎたこと

おもえばずっと過ぎたことに拘りすぎていたし、他者に対してひどく攻撃的だった。作家が書くべきなのは作品であって、怨みそねみではない。醜い場外乱闘を演じることに意味はない。害悪でしかない。ともかくまえに進むためにそういったものを棄てていくしかない。   中田満帆 ニュースレターより

 

 中田満帆氏のこの言葉を読むことで遠い過去の自分を思い起こすことになった。二十代後半で手痛い恋愛経験をして三十代前半を棒に振ったのだった。信じて切っていた恋人と女友達にこっぴどく裏切られた経験が人間不信や恋愛不信としてずっと拭うことが出来なかった。

 過ぎたことに拘る。過ぎたことにできないから拘るのだ。否、拘るから過ぎたことにならない。それが呪縛となる。文藝人であれば拘りを文学に昇華させることも出来ようが私には文才もなかったし思い付きすらしなかった。

 どうやってその呪縛から解き放たれたかといえば、いくつかの段階があった。まず恋愛以上に打ち込める事柄を探した。三十代後半はそういったことに費やした。恋愛と同様に簡単に出会えるものではない。けれど信じて探すのだ。

 はっきりと手ごたえを感じるころには四十代に差し掛かっていた。同時に恋愛の失敗で損なわれたアイデンティティが随分回復されていった。そして再び恋愛する機会が訪れたが、少なくとも以前のような恐怖心は生まれなかった。

 今思うことは、恋愛は大切な一つだけど全てではないということ。また、自分以外の誰かと共に生きて行くということは夫婦や家族や恋愛に限ったことではない。人に限ったことでもない。心が満たされる瞬間、人は幸福を感じることが出来る。